お坊さん数珠つなぎ

WEBサイト編集委員会中山宥義がインタビュアーとなり、
愛知県犬山市にあります薬師寺にて、岩田龍誠師にお話をお伺いしました。

第十三回 お坊さん数珠つなぎ 岩田龍誠師

 

岩田龍誠(いわた りゅうせい)

青海山 薬師寺 副住職

http://yakusiji.com/

愛知仏青 会長

 

 

 

お寺の紹介

岩 田

昔はこの地からすぐ南は水辺で、五郎丸という船着き場がありました。そこから漁師さんが沖に船を出し網を張ったところ、一つの木像を拾い上げたので、如何なる尊像であろうかと持ち帰り村人に聞いたところ誰も知る者がいませんでした。そうしているとちょうど行基さんがこの地へ行脚に来られたのでお尋ねしたところ、薬師如来さんであると分かりこれをこの地に祀り、天平6年(734)に聖武天皇の勅願所としてお堂を建立したのが始まりです。薬師如来の色である瑠璃(青)が海から上がったことから青海山 薬師寺といわれる所以です。

中 山

重要文化財とのことですが御開帳はされているのですか?

岩 田

秘仏ですが是非拝観したいとのお声が多く、近年は年に一度だけ大般若祈祷会で御開帳させて頂いております。

お寺の行事

中 山

写経会をされているのですね。

岩 田

奇数月に檀家さんに限らず行っています。どうしたらお寺に足を運んで頂けるかを考え、先輩のお寺さんを参考に始めました。有り難い事に毎回多くの参加を頂き、なかにはこれを機に年中行事もお手伝い頂けるようになった方もいらっしゃいます。世間では寺離れという言葉を聞くこともありますが、きっかけが無くなっただけだと思うんですよね。仏教やお寺に興味はあってもどうしたら良いか分からない方が多くて、こちらから入り口を作っていくのが私の役目だと思っています。

写経会の様子

修行時代の思い出

岩 田

正直な所、大正大学(※1)卒業時点で上手にお経を唱えられる訳でもなく、知識がある訳でもなく、このまま地元へ戻りお坊さんとして勤まる自信がありませんでした。そこで先輩の後押しもあり、総本山長谷寺研修所(※2)に入所させて頂きました。もちろん大学の4年間でも身につくとは思うのですが、生活の面でも衣を着けて毎日お経を上げ、色々な人と接するというのは大学だけでは経験できません。私は長谷寺に入るまでは結構人見知りだったんですよね。ひっきりなしに参拝者やお檀家さんが訪れるので鍛えられました。

※1 真言宗豊山派僧侶の資格が取得できる大学

※2 2年間、総本山長谷寺に住み込み法式や声明、また参拝者の案内などを学ぶことができる養成機関

中 山

今の岩田さんの印象からすると意外です。

岩 田

人見知りしてる暇が無かったです。真言宗豊山派の派祖である専誉僧正と頼瑜僧正の御遠忌(※3)だったこともあり、入所早々に大法要が立て続けにあって、とにかく山内を走り回っていたのを覚えています。その他にも猊下(管長)が交代される年でもあり、普段行われない貴重な行事に携わる事ができたのは幸運でした。

私は2年間の研修を終え、そのまま本山の職員として残りました。そして思いがけないご縁で「寮監」という修行僧を指導する役を頂きました。振り返ると研修所よりも寮監時代の方が勉強になったと思います。修行僧から様々な質問を受けますが「分からない」が通用しない立場ですので。

※3 宗祖などの遺徳をたたえるため五十回忌以降に行う年忌法要

中 山

修行僧を指導する心構えを教えて下さい。

岩 田

叱ることは誰しも好き好んでやりたい事ではないのでとても苦労しましたが、本当に腹が立って怒るということはほとんど無かったです。4年間の寮監うち、周りの先輩方にアドバイスをもらいながら、ようやく加減が掴めてきたと思えたのは最後の方でした。

四国遍路のお話

岩 田

大学生の時に歩いて回りました。お遍路も後半で慣れてきた頃の話です。66番雲辺寺さんまでの道中、いつもは飲み物を買っておくのですが、たまたま忘れていたんです。山道を1時間以上歩いていると喉が渇き、ぼーっと意識が朦朧としてきたんですよ。すると、目の前に菅笠でお顔の見えないお坊さんが現れたんです。お持ちの鉄鉢を差し出されて、中を見るとお水が入っていました。これは有り難い、と頂いたら飲んでも飲んでも無くならない。ですが喉がすごく潤ったんです。鉄鉢をお返した瞬間現実に戻って、ああこれは夢だったんだなと。でも、とても楽になり程なくして雲辺寺さんに到着できました。そこで知ったのですが、境内にお大師さんが掘り当てたという井戸があったんです。ですからあの時お会いしたのはお大師さんだったんだと確信しています。お遍路は皆さんも是非行って欲しいなと思う場所の一つですね。人生観も変わると思います。

中 山

やっぱり歩いて巡りたいですね。

岩 田

車でも何でも良いと思うんです。でも道中に何かしらあるんですよね。過程が大切だなと。

力を入れている活動

中 山

和太鼓の腕前は豊山派いや、お坊さんで一番ではないでしょうか。

岩 田

いえいえ恐縮です。今ではすっかり生活の一部になり、豊山太鼓 千響や地元の愛知仏青で演奏をさせてもらっています。有難いことに全国のお寺さんの行事でも呼んで頂けるようになりましたが、ほとんどが太鼓打ちとしてです(笑)

本山での経験もあり、法式、声明も意外と出来るんですが。法話も勉強してますし、太鼓だけじゃないんですよ!

 

中 山

オールマイティーですね。

岩 田

ひとつに片寄らないよう心掛けています。もちろん太鼓は好きですが、布教のひとつだと思っています。例えば学生時代、野球はすごく頑張っていても成績の悪い人がいると、個人だけではなく野球部全体が悪い印象を持たれたことがあって、そうはなりたくないなと。自分のお寺に戻れば一人でやらなきゃいけないので、何を振られても応えられるようなりたいと思っています。

中 山

和太鼓を始めたきっかけは?

岩 田

平成5年に日本武道館で行われた公演「千僧音曼荼羅」で当時小学6年生だったのですが、職衆(※4)で出させてもらいました。そこで間近で聴いた林英哲さんの和太鼓がかっこよくて。当時は林英哲さんをお坊さんだと思っていたので、帰宅して住職である父に「僕は林英哲さんの弟子になる!」って言ったのを覚えています(笑)

月日が流れ長谷寺研修所時代に太鼓を始めました。そして、職員最後の年にちょうど千響が発足したんです。サントリーホール公演に向けて毎月埼玉まで稽古に通いました。3月に退職するタイミングで当時千響の委員長であった馬場貞範師から林英哲さんに弟子入りしないかとお誘いがあり、まさに渡りに船ですぐさま父に電話で説得し許可をもらいました。それから約4ヶ月間、林英哲さんの元で太鼓修行させて頂くことができました。今でも時間を見つけて稽古をつけてもらったりしています。

※4 法要でお経を唱える役職

中 山

まさに夢が叶ったのですね!太鼓修行はいかがでしたか?

岩 田

本当に実現したので驚いています。運命的なものを感じました。修行は四六時中太鼓漬けを想像していたのですが、師匠が公演や取材にとてもお忙しい方なので、始めのうちは運転手として付き人の様な経験をさせてもらいました。もちろん師匠の稽古の時はみっちりとつけてもらいましたが、しっかり時間割があるわけでもなく意外と自由で、山奥で太鼓を一日中叩き続けられる環境があり、朝起きてランニングするも太鼓叩くも自分次第でした。

中 山

強制されないというのは、ある意味厳しくもありますよね。

岩 田

師匠のご実家は真言宗御室派のお寺さんなんです。声明にとても興味を持たれ、得度(出家をする儀式)も済んでいたので私から師匠にいくつか教えさせてもらうこともありました。

趣味

岩 田

運動が好きで最近は野球とキックボクシングをしています。

中 山

太鼓に活かせていることもありそうですね?

岩 田

やってみると意外にボクシングと太鼓で使う筋肉が似ていたり、闇雲にパンチするだけでなく呼吸やリズムの間合いが必要で、太鼓の良い練習にもなっています。野球は豊山派と智山派の連合チームに入っていて、平日の友引の日に県内の各宗派6チームで1年間のリーグ戦をしています。ちなみに数年前に三冠王を獲りました。

中 山

旅行もお好きと伺っています。

岩 田

昔から一人旅が好きで。朝起きた思いつきで広島に行こうって決めてそのまま厳島神社に行ったこともありました。

中 山

フットワーク軽いですね!

岩 田

歴史が好きなので、その舞台を旅するのも好きです。史跡をメインにして近くに温泉やグルメを探す感じですね。お寺も行きますが、どうしても仕事感覚になってしまうので神社やお城が多いです(笑)

ナゴヤドームでプレーする岩田師

僧侶にしかできないことを考える

岩 田

東日本大震災が起きた1ヶ月後に福島へ千響有志で現地に行ったんですよ。

まず遺体安置所に行ってお経を上げさせてもらったり、避難されている方のお話をただ聴くことしかできませんでしたがそれだけでも少しはお役に立てたのかなと思えました。

一周忌は南相馬市で法要と復興祈願で太鼓演奏をさせてもらったんですが、外でお客さんをお見送りしていた時の話です。ひとりの女性がいらっしゃって太鼓が大好きだった旦那さんの遺影を見せて、きっと喜んでいると思いますって握手して感謝されたんです。こちらが救われました。その時やっと人の為になれたのかなって思えた時でした。どちらかというと自己満足の部分もあるじゃないですか。いかにこちらは被災者の方々の為にと思っても、それが本人にどれだけ響いているのかって分かりづらい部分があったんですけど、女性のお話を聞いて、太鼓やってて良かった、お坊さんで良かったって思えました。

愛知仏青でも東日本や熊本で震災があった時、チャリティー公演をさせてもらって募金させてもらいました。千響で学んだノウハウを地元でも実践しています。

福島でのボランティア活動

座右の銘

岩 田

人生で苦しかった時に助けられた言葉ですが、中国の古事で「人間万事塞翁が馬(じんかんばんじさいおうがうま)」です。たとえ悪い状況に陥ったとしても、そのお陰でもっと良い事があるはずって思えます。

仏青の皆さんへ

岩 田

出来るうちに失敗を恐れずいろいろやりましょうってことかな。最初のきっかけは真似からで良いし、先輩に言われたからでも良い。お金には全くなりませんが(笑)でも絶対にお金では買えない経験が得られるはずです。

中 山

ありがとうございました。


この度は岩田さんにお話を頂き、幼少の頃よりの太鼓への憧れや想いに触れることができ、とても感動しました。

その太鼓への想いが通じ、林英哲師につき太鼓の修行をなされたというエピソードには深い仏縁を感じました。

太鼓の技を法務に活かされ、さらには仏青や千響の活動の中で活躍されるその響きは多くの人に感動を与え、人々の仏心をおこす活動をされていることと存じます。

最後に、ご法務や多岐にわたる活動とご多忙の中取材にご協力いただき、誠にありがとうございました。

左より外山師、岩田師、中山師