法話

御祖父様の死に臨んで

高橋亮介 龍光寺中(東京都江戸川区)/東京4号仏青会員

つい先日、友人の家におじゃましたときに、ひょんなことから彼の御祖父様が亡くなられたときの話を聞きました。
長く入院していた御祖父様が危篤だという知らせがもたらされたのは、地方出身者である彼が実家を離れ、上京して2年が経とうとしていたころでした。
すでに90歳を越えられていたそうで、ご家族の方々も、いつかは別れの時がくることを覚悟していたそうです。
「もう死ぬ。ありがとう…」 それが、御祖父様の最期の言葉。
すでに、何度も生死の狭間をさまよう状態を過ごしてきた御祖父様は、ときに「荷物の整理をしたい」と切り出したこともあったそうです。
しかし、御祖父様はなんとか元気なった。生きてこられた。そんな御祖父様が、今度は助からない…。

急いで実家に戻った友人は、亡くなる前に御祖父様と対面ができました。
そして、死の床からこの別れの言葉を聞いたそうです。最期の瞬間を迎えたそのとき、彼は比較的に平静な気持ちで立ち会うはずだったといいます。
しかし、そうではなかった。そこには、家族の死を受け入れられない自分がいることをはっきり自覚していた。
それは悲しいからではなく、死という実感が薄かったから…。また今度も、容態が回復して元気になるのではないか…。そう願っていたのではなく、自然とそう考えていた…。

友人は、翌日の御通夜を迎えても、告別式が始まっても、目の前にある御祖父様の遺体をみても、死を実感できなかったそうです。そこに横たわる御祖父様が目を覚まして起きあがっても、自然に受け入れられる。友人はそんな心境になっていたようです。
だから、周囲に御祖父様が他界したことを伝えるのは不本意だった。彼にとって、その状況はまるで御祖父様を無理矢理死人に仕立てあげる感じがしたとのことでした。

そんな彼に重くのしかかったのは火葬のとき…。
本当は生きているかもしれない御祖父様を火葬するという行為は、御祖父様が目覚めるという希望を断ち切る行為ではないか? 友人はそんな複雑な気持ちを抱えながら、御祖父様の火葬されていく時間を過ごしたといいます。そして、焼かれて御骨となった御祖父様をみたとき、こう思ったそうです。
「この瞬間、御祖父様は本当に帰らぬ人となってしまった」と…。
友人は供養した気持ちにはなれず、釈然としなかった。ひょっとしたら自分は、御祖父様を殺してしまったのではないかとさえ考えたそうです。

それから5年の月日が経ったいま、友人は久しぶりにその時のことを思い出し、あの時の気持ちを私に語りはじめました。

自分はまだ、あの時の疑問と葛藤に答えが出ていない。
あの時私は、ちゃんと供養して葬ったのだろうか…?いま一度、真剣に考える必要があるのではないか?と切り出して…。
結局自分は、祖父が発した最期の言葉を誰にも話すことはなかった。
あの言葉を聞いて沸き起こった複雑な心境を、誰かに伝えるべきではなかったのか?
別れの言葉を聞いた病室で、御通夜の席で、あるいは告別式の会場で…。
そうすれば、少しでも自分に心境の変化が起こったのではないか?
祖父の死を受け入れ、せめてよい供養をしようと考えたのかもしれない。
自分自身きちんとした供養をするという最期の仕事を十分にしてやれず、中途半端で後悔が残る結果となってしまった。
そんな思い出を振り返りながら、友人はこんなことを言っていました。

今の自分は、親しい人間の死を受け入れているのかどうかわからない。
けれども、過去に経験したあの頃の疑問と葛藤を、冷静に考えられる自分がいることは確かであると。

現代は、葬送儀礼の迅速化に伴い、生きる者と死んだものとの向かい合う時間が短縮されていく時代といわれています。
日常生活から隔離された病室のなかでむかえる、人間の死。それが何かわからずに、向かい合わなければならない死。日常から死が隠蔽されていることで、尊い生命をないがしろにした問題が次々と起こっているいま、親しい人間の死に向きあった友人の話は、深く考えさせられるものでありました。