法話

イメージと本質

栗坂 達也 青蓮寺中(千葉県君津市)/千葉三号仏青会員

先日、子ども達と一緒に水族館に出かけたときのこと。イルカの水槽を見ていると、なにやら、2頭のイルカが熱帯魚を追い掛け回していました。
最初は何をしているのか理解できなかったのですが、熱帯魚が水槽の隅に追いやられると、その行動の意味が判りました。イルカたちはこぞって、その熱帯魚を食べようとしていたのです。

イルカといえば水族館のアイドル。ジャンプなどの芸をした時に、飼育員の与えるエサをもらって食べるイメージが強いので、少し驚きました。
しかし、もっと驚いたのは、さっきまで「キャ〜かわいい〜」なんていって見ていた人たちの反応でした。イルカの一頭が熱帯魚を口にくわえたとたん、「キャー、信じられない、ショックー」とか「えー幻滅、かわいそう」など、ひどい言われよう。
更には、すっかり悪者となってしまったイルカのことを、子どもの目を覆って「見ちゃダメ!」なんて親も…。

水槽で飼われるイルカは、ストレスの為、5年ほどしか生きられないといわれます。当然なことですが、野生のイルカは海中を自由に泳ぎ回り、エサをとって食べるのが、命をつなぐための本来の姿です。

人間が彼らの自由を奪って、鑑賞させてもらっているのに、イメージと違ったからって、そんなひどい言い方をしなくたって…。しかも、そのイメージは私たちが勝手に創っているものなのですから。

お寺へお墓参りに来られる方を見ていると、安心することがあります。
お墓参りは普段、年配の方が多いのですが、お盆やお彼岸、年末年始などは家族連れが多くなります。
中には、派手な身なり、髪色、髪型の若い子がいたりするのですが、家族と一緒に、きちんと手を合わせ、本尊様をお参りしていく姿や、周りの方とあいさつを交わしているのを見ると、何だかとてもホッとするのです。

このことは、私が勝手にもっているイメージによって、マイナスからプラスへ作用しているのですね。

印象の悪い人が、善い行いをするとイメージアップとなり、印象の良い人が少しでも悪いことをするとイメージダウンとなります。しかし、実はどちらも、その本質がかわったわけではなく、勝手に思い浮かべていた印象が変わっただけなのです。

「イルカさん、お腹へってたんだよ。」とイルカをかばった、3歳の娘の言葉に苦笑し、人間の身勝手さと、命の連鎖について、考えさせられた出来事でした。

人間も、多くの生命をいただいて、命をつないでいます。食糧の少なかった頃は、イルカも食用とされたそうです。

日本では、コンビニや飲食店から大量の残飯が捨てられている一方、世界に目を向けると、5秒に1人、飢えや飢えに関係する病気で、命を落とす子どもがいるという事実があります。せめて、私たちは、ご縁によってこの身を授かったことに感謝し、たくさんの恵によって、生かされていることを認識しなければなりません。

このことを理解できる心は、誰もがもっています。善し悪しのイメージとは関係なく、本質として、人の心にことごとく備わっているのです。ですから、本尊様に手を合わせるお姿は、とても美しいものなのです。

1日3度、感謝の気持ちを忘れずに!

食前のことば

ひとつぶの米にも、万人の力が加わっています。

一滴の水にも、天地のめぐみがこもっています。

(ありがたくいただきましょう) いただきます。

食後のことば

みほとけと、おおぜいの人びとのめぐみにより、おいしくいただきました。

体を養い、心を正しくして、あらゆるめぐみにかんしゃします。

(ごちそうさま)ごちそうさま。

(“青少年のおつとめ”より)