法話

「十五夜」に思うこと

森敬典 延命寺副住職(福島県河東町)/福島会津仏青会員

日本には色々なしきたりや年中行事・伝統行事というものがあります。心を新たにする初詣等の正月行事や子供のお祝いでもある「ひな祭り」、「端午の節句」等はほとんどの家庭に慣習として定着しています。では「十五夜」はどうでしょう…?

「十五夜」とは旧暦の8月15日の夜に満月を鑑賞する、俗に「お月見」と呼ばれる習慣です。唐代の中国から平安時代に日本に伝わったそうです。風流を尊ぶ当時の貴族の生活にマッチしたのでしょうか…すぐに定着し、やがて庶民の間ににも特に豊作を祈る行事として、全国に広まったようです。

 今年は9月14日が旧暦の8月15日にあたり、私は自坊で「お月見」をしました。縁側にテーブルを出して団子を供え、脇にはすすきの穂を飾り、月にむかって手を合わせました。晴れた日の太陽は眩しすぎて目を開け続けることはできませんが、月は凝視できるものだなとあたりまえのことを思いつつ、寺族の健康と世界の平和を祈りました。夜空に浮かぶ満月は皎々と輝き、仏様のようでした。

 真言宗の行には阿字観(あじかん)や月輪観(がちりんかん)といった座禅のような観法があります。月の中にも仏を観じ、また観ることができます。静かな暗闇を照らす満月は安心(あんじん)を与えてくれます。花を観賞するのと同様、月を観ているときにしかめっ面の人はいないと思います。観ている人の顔もまた仏様のようになれるのではないでしょうか。

 今や日本は世界に冠たる経済大国となりました。
食べ物は豊富に溢れ、科学は様々な便利なものを生みだしました。
その一方で、効率の悪いこと、無駄と思われることを省き、古来の伝統行事までもが置き去りにされてきました。物が豊かになっても精神が貧しくなっては寂しいことです…。
田舎に住む私は、車が無ければどこへも行けないし、携帯電話は法務・檀用にもたいへん役立っています。
これら便利なものを否定するのではなく有り難さを認めながら、伝統を重んじる心も豊かになってゆきたいものです。