法話

おこる・いかる

鷲見弘道 妙楽寺住職(埼玉県児玉郡)/埼玉4号仏青 副会長

今年(2014年)は四年に一度のサッカーの祭典、ワールドカップの年です。現地に行かなくても、各国の一流の選手たちの試合はテレビで観戦できますが、開催国ブラジルは日本とは地球の反対側に位置しているため、時差の関係で寝不足になりながら、テレビ観戦する人も多かったのではないでしょうか。

ところで、このワールドカップのブラジル大会が開幕した6月12日は、「恋人の日」でもあるそうです。ヨーロッパでは古くから、縁結びの聖人アントニウスの命日の前日である6月12日に、恋人同士や夫婦間でプレゼントを交換する風習がありましたが、ブラジルではこの日を「恋人の日」として定めたとのこと。今では恋人同士が写真立てに写真を入れ交換し合うことが多いようです。好きな者同士、お互いに相手のことを思って行動する姿は、時代や地域にかかわらず素晴らしいことですね。

反面、恋人という関係であるがゆえに、お互いの主張がぶつかり合うこともよくあります。先日、駅の構内で大声で喧嘩しているカップルを見かけましたが、何となく聞こえてくる話を要約すると、男性が約束の待ち合わせ時間に遅れたのでまず女性が理由も聞かずに怒り、その態度に対して男性も自分の遅れた言い分を正当化して文句を言っているようでした。つまり、二人とも自分のことを中心に考えた結果、相手のことを思いやることなく腹を立てたと言えます。お互い、相手が自分のことを分かってくれるだろうという期待もあったかもしれません。いずれにしても、自分の感情を素直に伝えやすい相手に対しては、些細なことで怒ってしまう場合もあるという一つの事例と言えるでしょう。

さて、この「怒る」という感情、普通の人であれば、恋人同士でなくても日常的に態度に出てしまうことがあるのではないでしょうか。自分の気に食わなかったり、思い通りにならなかったりしたとき、我慢できずに頭にきてその感情を相手(または自分以外の何か)にぶつける。個人的な怒りの場合、自分の感情を優先することが多いので、周りの状況や相手の気持ちを思いやる余裕はほとんどないと言っていいでしょう。このため仏教では、「怒り」は「むさぼり」や「無知(おろかさ)」とともに、根本的な煩悩(=「三毒」)の一つとされています。

自己中心的な心から生じる「怒り」は、個人的には嫌な気持ちになって苦しむという点で、社会的には他人や周りへの配慮・思いやりに欠けるという点で、できれば無いほうがいいものです。我慢できない嫌な気持ちを自分ではどうしようもないから、相手や他人を怒ることで、何とか自己を保とうとする。この場合の「怒り」とは、駅で口喧嘩をしていたカップルのように、単に「自分のため」のものなので、本人以外の人たちにとっては迷惑な話です。とはいえ、仏さまならともかく、「自分」を中心にして物事を考えることを全くしない人はいないと思うので(もし全く怒らない人がいるとすれば、その人は「人間臭くない」人、つまり「仏さま」と言えます)、思い通りにならなくて嫌な気持ちになったときには、「まぁ、仕方がないか」と半ばあきらめたり、たとえば好きな人と美味しい食事をしながら楽しい時間を過ごす想像をするなどして、「ほどほどに」怒りの気持ちを抑えることが、人間関係を円滑にするコツかもしれませんね。

他方、仏さまの中には、見るからに怒っているような形相の仏さまがいます。私たちを慈悲の心で見守ってくださるはずの仏さまが、なぜ恐ろしいお顔で怒ったようにしているのか、一見不思議に感じますよね。たとえば不動明王という仏さまは、背に炎を背負い、右手に剣を持ち、お顔は忿怒の形相というお姿をしています。では、この恐ろしい形相の仏さまは、思い通りにならなくて「自分のために」怒っているのかというと、そういうわけではなく(当たり前ですが)、実際は「私たちのために」あえて厳しいお姿をしているのです。

私たち人間社会でも、親が子供のことを思って怒ったり、政府の政策に対して住民が怒ったりすることがあります。この場合、その「怒り」は、単に自分の感情から出る「自分のための」ものではなく、「子供のため」・「社会のため」という願いから出た感情のあらわれと言えるでしょう。そういう意味では、仏教で煩悩の一つとされている「怒り」とは区別して、他の言葉で表現したほうが分かりやすいかもしれません(「叱る」・「憤る」など)。先ほど見た不動明王という仏さまも、私たちを何とか仏の道に導きたいというお気持ちから、「私たちのために」あのようなお姿をしているのですね。 優しそうなお姿の観音菩薩が「慈母」だとすれば、お姿は恐ろしくてもそのお気持ちは計り知れないほど慈愛に満ちている不動明王は「慈父」と呼べるでしょうか。

最後に、喧嘩をしていたカップルの話に戻りますが、そのしばらく後に、わたしが入った喫茶店でも偶然見かけました。そのときは、二人ともニコニコして楽しそうに話し合っていたので、「怒り」はお互いに収まったのでしょう。やはり、「怒り合う」姿より「慈しみ合う」姿(内面的な気持ちと同時に外見的な表情でも)のほうが、恋人同士には似合っていますね。