お坊さん数珠つなぎ

第4回はWebSite編集委員長 田中宥弘がインタビュアーになり奈良県桜井市の
真言宗豊山派総本山長谷寺塔頭 能満院住職 大河内海光師にお話を伺いました。

第四回 お坊さん数珠つなぎ 大河内海光師

大河内海光(おおこうち かいこう)

昭和46年12月25日生まれ

能満院(のうまんいん) 住職

総本山長谷寺 法務部主事

豊山流大師講 奈良教区本部長

奈良仏青 元会長

お寺の紹介

大河内

元々は、総本山長谷寺のお堂の一つでした。江戸中期である正徳3年(1713)に林諦房宥仲(りんたいぼう ゆうちゅう)と全雅房寛海(ぜんがぼう かんかい)により創建されました。

当時は求聞持堂(ぐもんじどう)として存在していましたが、次第に衰退し、文化7年(1810)に長谷寺第38世能化である即同により再建されました。本尊さまは求聞持法の本尊でもある虚空蔵菩薩(こくうぞうぼさつ)ですが、現在求聞持堂は残っておりません。

その後、能満院中興一世の海如(かいにょ)により地蔵堂が建立されました。海如は慈雲飲光(じうんおんこう※1)の遺訓を継いでいたため、能満院を律院(りついん※2)としました。地蔵堂の本尊さまは「日限地蔵(ひぎりじぞう)」とよばれ、願掛けをする日を限定することで、よりご利益が得られるといわれております。

田 中

能満院のご住職であると同時に、長谷寺の法務部の主事をお勤めになっている大河内さんですが、法務部の主事さんとは具体的にどんなお仕事をしているのですか。

大河内

基本的には午前11時の定例回向(えこう)という法要の準備と執行。それと、団体参拝(以下:団参)などで申し込みがあった法要の準備などを担当しています。他にもたくさんありますけどね。

田 中

私たちも何度か法要に参加させていただいていますが、法務部が中心だったのです。
※1 慈雲飲光ー(1718-1805)……慈雲尊者ともいう。戒律を重視した真言宗の高僧。
※2 律院―……―戒律を重んじ、また専門に学ぶ寺院

能満院

お坊さんになったきっかけ

大河内

うちは代々僧侶の家系なんです。西国7番札所の岡寺に勤めることとなり、引っ越しました。普通の家に住んでまして、父は近くから通って勤めていたんですよ。
小学5年の時に得度(とくど※3)をして、当時の兼務寺だった遍照寺というお寺の棚経(たなぎょう※4)を父と一緒に回っていた時です。その時の父の姿に感銘を受けたのがきっかけです。父が拝む姿を、いつも見ていたわけではないので、新鮮でもありましたね。そのころから、自分も僧の道を志すようになりました。

田 中

そういえば、私も父の拝む姿が記憶にあるのは棚経の時です。同じように小学生の頃から手伝いをしていたのですが、当時はお経を唱えている父の姿を見るのは棚経くらいでしたからね。

大河内

新鮮っていうのはそういうところからきてるのかな。一生懸命に拝む父の姿はカッコよかったですね。高校を卒業してすぐに、埼玉県の親戚のお寺に随身(ずいしん※5)して、大正大学に通いました。在学中に「僧侶をやるというのは、自分の意思なのだ」と強く思えるようになり、自分としては珍しく文句はなかったですね(笑)
※3 得度……儀式を受け、僧侶となること。
※4 棚経……お盆の時期に飾られる「精霊棚(盆棚)」を供養すること。
※5 随身……他のお寺に泊まり込みで従事すること。

水子地蔵と与喜山

力を入れている活動

大河内

やはり長谷寺での職務です。今、長谷寺の法務部に所属していますので、観光であったり、団参であったり、信者さんであったりと、本当にたくさんの方とお会いします。そのため、いろんな質問を受けるんですよ。長谷寺に奉職して12年目、研修所にいたころを入れれば14年になります。いろんな質問を受けても、すべてに答えられるわけじゃないんです。
答えられなかったことを調べていくうちに、長谷の歴史に興味が湧いてきて、たくさんの資料を集めて勉強しましたね。今では殆ど答えられますよ。

田 中

私も長谷寺で案内法話をさせていただくことがありますが、私なんかよりよっぽど長谷に詳しい信者さんが多いですからね。自分の勉強になることのほうが多いです。

大河内

本当にそうですね。なんでそんなことまで知ってるの!っていう方もいらっしゃいますからね。そういったことを後輩に伝えていくことも、大事な法務だと思ってます。そのためには、深い理解が必要なんですよ。自分で理解しないと伝えられないですからね。

田 中

大河内さんはご詠歌もなさっているということですが?

大河内

(笑)一応、宗派のご詠歌研修所の13期ですが、修了後はご詠歌を離れていました。今の「豊山流大師講(ぶざんりゅうだいしこう※6)」ができる前から、長谷寺には「初瀬観音講(はせかんのんこう)」っていうのが存在していました。それが名前を変え、奈良県内の支部の集まりとして奈良教区となり、ご詠歌を今も伝えております。年に2回の講習会と検定、それに年1回、大体3月くらいにホールで奉詠大会もしてますね。6年前に、長谷寺付近の人たちにご詠歌を教えている初瀬支部の支部長様がお亡くなりになり、自分が支部長に就任したんです。
※6 豊山流大師講……真言宗豊山派のご詠歌を取りまとめる機関。
ご詠歌を伝えるため全国に支部があり、日々たくさんの人にご詠歌を伝えている。

法務中の様子

楽しかったこと・つらかったこと

大河内

楽しかったことは、大学や研修所を通じて、自分と同じ志の僧侶の仲間ができた。 そういった仲間と、いろんな話をしたり、一緒に行ができたことですね。

田 中

このホームページの編集をしているウェブサイト編集委員会の委員長を務められた中山さんとも一緒に修行をされたんですよね?

大河内

そうですね、 本山でも研修所で、一年一緒に修行した先輩後輩の関係です。でも、そのころの話はあまりしないほうがいいのかな(笑)

田 中

(笑)気になりますね。

大河内

つらかったことは特にないですね。あ、でも私は寒いのが苦手なんです。強いて言うなら冬の朝勤行の寒さがつらいですね。

田 中

長谷寺の冬は寒いですよね。私は、行の時しか冬の長谷寺は経験していませんが、その時は生まれて初めて靴下を2枚はいて寝ましたよ。

大河内

いやぁ、まだまだですね(笑)雪が降った日なんて、形容しがたい寒さですよ。北陸の人には申し訳ないですが…。

ご本尊日限地蔵尊

休日の過ごし方

大河内

趣味に没頭していますね。小さいころからゲームが大好きで、今も休日はゲームをしています。シュミレーションゲームなど、頭を使ってするゲームが好きでして、やり始めると止まらないですね。

田 中

シュミレーションゲームですか。私もゲームは好きですが、頭を使うのは苦手ですね(笑)単純なゲームばっかりしてますよ。

大河内

あと、去年くらいから宝塚を見に行くようになりましたね。妻の影響もあって、夫婦で見に行きます。車で1時間半くらいで行けるものですから。

インタビューの様子

座右の銘

大河内

「継続は力なり」です。私なりに思うところは、「ただ続けるだけとは違う」ということです。
初心が薄れていってしまうならば、この言葉の意味はまったく違ってくる。
モチベーションを高めつつ、継続していく。そこに意味があると思います。

田 中

確かに、続けるだけなら嫌々でもできてしまいますから、力にはなりませんよね。

大河内

長谷寺の職員になったときから、今でもですが、慣れてしまって初心を忘れてしまうのが不安なんです。ですから、時々立ち止まって、自分を省みるようにしています。

田 中

私も、長く何かをやっていると、どうしても楽をしたり、慣れておろそかにることがあります。大いに反省すべき点です。ちなみに、大河内さんにとっての初心とは?

大河内

お檀家さん、参拝者、信者さんを第一に考えるということですね。長谷寺の職員として、もちろん僧侶として、寺の都合を第一に考えないようにしています。この気持ちがなくなるならば、長谷寺にいる資格はないと思っています。

田 中

そうですね、お寺を支えているのは、間違いなく、そういった人たちですから。

水子供養の小さなお地蔵さま

仏青の皆さんへ

大河内

仏青の良いところは、フットワークの軽さだと思います。各地に行って結集(けつじゅう)をしたり、いろいろな活動ができるのは、仏青ならではでしょう。また、そういった行動力に加えて、全国に会員がいるという団結力と、何より勢いがある。そういった仏青の魅力を、世代が変わってもずっと持ち続けてほしいですね。
もうひとつ、「仏青にしかできないこと」っていうのがたくさんあると思います。そんな仏青ならではの事業を考えて、何にでもチャレンジしてほしいです。

大河内さんと田中委員長


大河内海光師、大変御多用の中、貴重なお話をありがとうございました。
長谷寺にお勤めなさっているお坊さんのお話は、普段ではなかなか聞くことができません。
長谷寺にお越しの際は、ぜひお会いしてみてください。

インタビュー:田中宥弘
文:田中宥弘
校正:website編集委員会