お坊さん数珠つなぎ

 

2019年より豊山派仏教青年会は、防災・減災の実施及び被災地における復旧・復興活動を目的とする団体一般財団法人 日笑顔顔プロジェクト様(以下、笑顔P様)と災害協定を結んでおります。
笑顔P様は、大規模水害等の復興活動に必要不可欠なパワーショベル等の小型重機を用いた支援・その運転資格を取得するための講習会開催に力を注がれております。2024年1月1日に発生した令和6年能登半島地震におきましても迅速に現地へ赴き、重機を用いた瓦礫の撤去活動や炊き出し等、精力的な活動を続けておられます。

 

さて、真言宗豊山派仏教青年会広報では、新潟県や静岡県などで大規模な水害が発生した2022年に、笑顔P代表理事を務める豊山派仏教青年会 元会長:林 映寿氏へ、災害復興活動に関するインタビューを行いました。今回の「お坊さん数珠つなぎ」では、当時実際に被災地を訪れ支援活動に参加した豊山派仏教青年会 :白井宥成副会長の体験談を交えつつ、その際の模様をお届け致します。

 

 

長野支所 浄光寺福住職 林 映寿(はやし えいじゅ)

https://www.jyokoji.jp/

真言宗豊山派仏教青年会 第32代会長

一般財団法人 日笑顔顔プロジェクト 代表理事

 

第十四回 お坊さん数珠つなぎ 林 映寿師

 

笑顔Pのはじまりについて

 

林:笑顔Pは東日本大震災をきっかけに、2011年に立ち上げた団体です。重機関係の活動を行うようになったのは、2019年の台風19号の際、“重機ボランティア”の方々の存在を知ったのがきっかけでした。

重機ボランティアとは、被災地にショベルカーを持参し水害で堆積した漂流物や土砂を撤去する民間のボランティアです。行政から委託を受けた地元の建設業者さんは、公共的な道路や河川だけでしか作業ができず、個人宅や私有地での復旧作業は個人の責任で作業を進めていかなくてはなりません。スコップで土砂を取り除くには限界があります。昨今のコロナ禍で、一般のボランティアさんも集まりにくいため、特に重機ボランティアの必要性が高まっています。世の中の9割程の人は、今でもこの存在を知らないのではないでしょうか?

日本にはそういった特殊技術を持つ団体が約10組程しかありませんでした。そして団体の人達は高齢の方が多い上に平時は仕事で忙しいため、後継者の育成までは行えていないようでした。「重機ボランティアの今後はどうなる?」と考えた時、直近の災害救援も必要ですが、未来を見据えて人を育てることも大事だと思ったのです。

この台風により、私の地元である長野県小布施町も被災地になりました。被災した人間がやられっ放しで終わるのか、「その経験があったから強くなった」と言えるのか…。こうした思いを胸に、自助のレベルを上げる取り組みに至りました。
また、私は考えました。もしお大師様が、災害大国になった現代の日本に居たらどうする?橋もダムも造ってきたお大師様を思えば、きっと自ら重機に乗って活動をされているだろうと。お大師様は生活に直結するものを地元の人々と作り上げてきた。公共事業はもちろん、教育も同じです。その教えを受け継ぐ真言宗の僧侶であれば、それはやらなければならないことかもしれない…と、私自身は考えています。直接人を救うところまではいかないかもしれませんが、やってみなければわかりません。

 

 

 

豪雨災害(2022年)に対する活動

林:現在(2022年10月下旬)では、9月下旬に発生した台風15号の記録的豪雨により被災した静岡の復興活動に注力しています。この被害は新潟の豪雨被害・復興活動からさほど間を置かぬうちに発生したため、非常に驚きました。2022年は10月の時点で起きた災害だけでも福島の地震、東北豪雨、新潟、静岡…と4つもあります。団体設立当初は5〜10年に一度動ければ良い、と思っていましたが…。

笑顔Pでは他団体と連合を組み、一般家屋に堆積した泥のかき出し・運搬を行っています。基本的に泥を置く仮置場の指定は、被害状況を全て把握した状態で行政が国に報告して、国から指定されます。しかし被害が広域過ぎて、その把握が未だにできていないようです。作業に入っても置く場所がないため、ただ泥を集めるしかできず、悲惨な状況が続いています。なお、現状では静岡の復旧は2月までかかる見込みです。

 


 

静岡の被害は、全国ネットのニュースで見ることがほとんどありません。断水の情報が入ってきたくらいでしょうか。被害規模はここ2、3年の台風の被災地の中でも比べ物にならないほど大きいのに、どういうわけか最初から取り上げられません。この苦しい状況を絶えずメディアが取り上げてくれれば良いのですが、中々そのきっかけが世の中にありません。なので、今の我々笑顔Pの使命は、現場の復旧はもちろんですが、「まさに今、被災地で苦しんでいる人たちがいる」と伝えていくことだと考えております。

また、今回の被災地には豊山派のお寺はありませんでしたが、大規模な災害が豊山派の関係地域で起きた場合のことは、豊山仏青でも考えておいたほうが良いかもしれません。その時、豊山派の僧侶の手で被災した方々を救済できれば、「豊山ここにあり」という姿を示せるのではないでしょうか。

 

被災地で感じたこと

白井:私は静岡の直前に被災した新潟の復興支援に参加しました。6人の寺院方とボランティアセンターに登録し、すでに被災地に入られていた林さんの現場に近い家屋を修繕いたしました。そうした作業が終わってからは、笑顔P様と共にお寺のお手伝いに参加いたしました。

 


 


感じたことの一つは、林さんのチームが重機講習を始めた2019年からたった3年でこれだけ動けるのか、という驚きです。林さんがいなくても誰かが指揮を執れる状態があり、人材の育成が着実に進んでいるように感じました。そこで僧侶の方々がもっと絡んでくれば、なおのこと良いのではないでしょうか。

初めて災害ボランティアに参加したのは、2004年の新潟中越地震後でした。仏青の先輩に声をかけられ、有志として参加しました。津波の被害はなかったのですが、豊山派寺院にも多数の被害があり、本堂の掃除や家屋の片付けを行いました。
災害への意識が大きく変わったきっかけは、やはり2011年の東日本大震災です。この時は直接的な復興活動だけでなく、避難所に差し入れを持って行き、被災された方々と接して話を聞きにいくように仏青の先輩から要請を受けました。避難所に居る人たちは、もちろん同じ被害を受けた当事者の人達ばかりです。それにまだ被災当初だったため、第三者にしか話せないことがあったのではないでしょうか。我々は僧侶だったため社会的な信頼度が高かったのか、「坊主が何をしに来たんだ」といった警戒はされなかったように思えました。まだ若い頃だったので、逆にこちらが「頑張って」と励まされることも多かったです。凄く刺激的な経験でした。

たとえ重機を扱えなくても、被災した現場に一回でも行けば、このような状況がわかるし災害に対する意識が変わると考えています。また、一度行けば寄付をする気持ちも芽生えると思います。「きっと足りないだろうな…」と。
今後も台風に限らず、南海トラフや首都直下など、東日本大震災級の巨大地震といった災害は必ず訪れます。その際に動ける若手の方々がもっといれば尚のこと良い、と感じました。

 

笑顔Pの未来

 

林:将来的な後輩の育成に関しては、豊山派の若手がいれば理想的ですが、そうでない人も育っているのであまり急いではいません。ただ2021年に布施弁天 東海寺様で重機講習会を開催して以来、すごく頑張ってくれている豊山派の後輩がいることには注目しています。講習会から火が付いたようで、現在では新人を指導できるほどの実力があります。勉強会が良いきっかけになったようです。

また、実は笑顔Pでは、まだ自前の重機を所有しておりません。講習会や被災地復興のために使用している機材はリースによるものです。長期的にリース代を支払うだけでは、時間が過ぎれば結局物理的に何も残りません。また被災地のリース会社にある機材はすぐになくなるので、別の場所(例えば長野)の会社から借りて現地へ運んで行く必要があり、もしも災害が夜中に発生した場合はリース会社の営業開始時間まで待たなければいけません。こうした状況を考慮すると、リース代を支払い続けるよりも、まとまった金額で機材を買った方が良いのではないか…と検討しております。

リース代に限らず、活動のためにはガソリン代・宿泊費・資機材のレンタル費用等が常にかかります。昨今は燃料高騰も厳しい状況です。既に豊山仏青様からは支援金(活動資金)を拠出していただいております。特に燃料費がなければ重機は動かせませんので、こうした後方支援には凄く助けられており、誠に感謝申し上げます。

 

 

 

【令和4年(2022) 10月20日 東京都中野区 慈眼寺にて】


 

このインタビューは、機関誌『豊友』174号に掲載した対談記事を編集したものです。
2024年1月1日の能登半島地震で感じた衝撃が冷めやらぬ中、東北・関東圏でも断続的な地震が発生している状況が続いていることから、今ひとたび林師・笑顔P様に関するエピソードを知っていただきたいと感じ、今回の「数珠つなぎ」更新に至った次第です。
ご多忙の中インタビューに応じてくださった林師と白井副会長に、改めて心より感謝申し上げます。