お坊さん数珠つなぎ

WEBサイト編集委員会外山杲吽がインタビュアーとなり、滋賀県米原市にあります惣持寺にて、長尾龍樹師にお話をお伺いしました。

第11回 お坊さん数珠つなぎ 長尾龍樹師

長尾龍樹(ながおりゅうき)師

昭和47年3月4日生まれ

伊吹山 惣持寺(長尾護国寺)副住職
http://www.za.ztv.ne.jp/nagaoji/

円満寺住職

滋賀仏青前会長

 

お寺の紹介

長 尾

縁起書によりますと、白雉2年(651)慈照上人により長尾寺が開山されました。創建当初は法相宗でしたが、天長年中(824〜834)この地を弘法大師がご巡錫され真言宗となりました。

仁寿年中(851〜854)三修という僧侶が、長尾寺、太平寺、観音寺、弥高寺の4ヶ寺を伊吹山四大護国寺と称し、山岳修験の霊場として信仰を集めました。また、三修のはたらきにより元慶2年(878)には、長尾護国寺は定額寺(※1)に昇格されました。
その後、鎌倉時代に深宥上人によって、山門(仁王門)、護摩堂、毘沙門堂、地蔵堂、不動堂、権現堂などお堂や境内が整えられ、長尾寺四十九坊と呼ばれるようになりました。

しかし、元亀元年(1570)の姉川の合戦の時、織田軍の兵火によりお堂の大半を焼失しました。その後、復興を果たすのですが、明治9年には大久保村の大火により、本堂や宝物庫などのほか、貴重な文化財を失いました。幸い二体の毘沙門天像は火災をまぬがれ、今では伊吹山仏教文化圏を代表する文化財として、また地元の人々からは「長尾寺の毘沙門さん」と親しまれ篤い信仰を集めています。当寺はかつての四十九坊の内の一つ、惣持坊が長尾護国寺の跡目を継いだことから、伊吹山長尾護国寺と申しておりますが、正式には寺号を「惣持寺」と称しています。

※1 定額寺… 奈良・平安時代に官大寺・国分寺(尼寺を含む)に次ぐ寺格を有した寺院。諸説あるが、国家から官僧侶が一定数派遣されたり、経済的支援を受けて、保護されていた。

外 山

寺名と苗字が同じなのも歴史を感じますね。

長 尾

良く言われるのですが、偶然なんです。曽祖父の代に、たまたま縁あって当寺に入ったというだけなんです。清水寺の辺りに清水さんがいらっしゃるぐらいのものですよ。

余談ですが、ここ伊吹は面白いところなんです。お隣の関ヶ原(岐阜)までは車で10分ほどですが関西と関東の境目で文化が全然違うんです。
餅の形は丸か四角か、味噌汁は白か赤か、カレーに入れる肉は牛か豚か、エスカレーターに並ぶのは右か左か、ツッコミはアホかバカかなどといった具合に。

外 山

お寺の見どころについて教えてください。

長 尾

お寺の見どころはなんといっても滋賀県の文化財に指定されている二体の毘沙門さまです。一体は、毘沙門堂の御本尊さまとして安置されている「天部形立像」です。高さが178cm、お姿は憂いを含んだ神秘的で物静かな、言い知れぬ迫力に満ちています。平安前期の作と推定され、伊吹山護国寺の名残があり、美術的、歴史的に重要な文化財です。

もう一体は、御前立として安置されている「毘沙門天立像」です。高さが167cm、天邪鬼を踏み押さえ、私たちの煩悩や邪心、慢心を戒められているお姿をしています。また、豊満な体躯や柔らかい彫法は藤原様(※2)で、平安後期の作と推定され、こちらも滋賀県の文化財に指定されております。

お寺の参拝はもちろんですが、山野草を楽しみにハイキングコースとして来山される方も多いです。

※2 藤原様(ふじわらよう)…藤原時代に造られた仏像の特徴

外 山

毘沙門堂まででしたら平気ですが、奥の院まで登るとまさに登山ですね。気付けば右足にヒルの洗礼を受けていました(笑)それでも、緑に包まれて心が洗われるようでした。なんて自分はちっぽけなんだろうと気付かされます。伊吹山の一角を占める広大な伽藍をどう護持されているのですか?

長 尾

実は、お檀家さんが一軒もないんです。それぞれ菩提寺のある村内の方々にお世話になっています。その方々と組織するお寺の保存会がございまして、山内の整備や修繕などお手伝いを頂いております。本当に感謝しています。

天部形立像(右)毘沙門天立像(左)

お坊さんになったきっかけ

長 尾

こんな山寺ですし大学進学の頃までは、父からは嫌なら坊さんにならなくても良いと言われていました。しかし1300年余り続いてきた寺の存続を考えた時、このお寺を守っていくことが出来るのは自分しかいないという責任感が芽生え、継ぐことを決意し大正大学へと進みました。今思えば、父に強要されなかった事がかえってその気にさせたのかもしれません。いざ大学が始まると、同級生は始めからお経を唱えられるし、衣を綺麗に着られるしで、差を実感しましたが…

毘沙門堂

力を入れている活動

長 尾

先ほどお話した通りお檀家さんは一軒もありません。寺の行事は地蔵盆と涅槃会ぐらいです。地蔵盆とは主に滋賀以西で行われる地蔵菩薩の行事です。地蔵菩薩は、親より先に亡くなった子供が賽ノ河原で石を積んで遊んでいると鬼が来てそれを崩し、苦しめられているところを地蔵菩薩が救ったことから、子供の守り仏となっています。お盆明け23日前後に夏の終わりの行事として関西各地で行われます。主に地元自治会や子供会などが主催し、お地蔵様に読経をしに行っています。朝から子供がお地蔵様の前掛けを取り替えたり、子供が中心となる行事です。

涅槃会は、お寺の世話方、周辺の方の協力のもと何とか厳修させていただいております。お参りの方も皆さま地元の信者さまです。

外 山

自動車ディーラーの店長もされているそうですが、なぜこの業種を選ばれたのですか?

長 尾

大した理由はありません。この業界に入って21年目になりましたが、車が好きと言うよりかは人との関わりが好きなんです。その間に車が付いてくる様な感じで。

外 山

それはお寺に活かされているのでしょうか?

長 尾

お客さんには僧侶であることはあまり話さないようにしています。営業職は宗教、政治、応援している球団の話はしないっていうのが鉄則です。色んな考えの方がいらっしゃいますからね。それに家が寺だって言ったら「二足のわらじ」や「坊主丸儲け」なんて言われ嫌な思いをするだけですからね。それでも名前や髪形で気付いた方にはお話ししますよ。よくお四国や仏壇の仏具の話で盛り上がります。

外 山

本題のお話ですね。きっと長尾さんの人間性が滲み出ているのだと思います。DIY(日曜大工)がお好きだと伺いました。お寺の修繕などもされているのですか?

長 尾

簡単なものだけですよ。子供の滑り台やブランコを作ったり、木に登って枝払いや、雨漏りすれば屋根に登り、冬は除雪機で近所の道を除雪しています。

外 山

確かに、屋根も雪国に見られる様な形をしていました。

長 尾

この地区は日本海からの湿った風が伊吹山に当たり東北並みの積雪の年もあるんです。屋根には鋼板が貼ってあり、雪が滑りやすくなっています。このあたりの雪は湿った重い雪で除雪は大変ですが、良い運動にもなっています。

地蔵盆の様子

お坊さんになってよかったこと

長 尾

幼い頃、僧侶であった祖父に立ち居振る舞いを厳しく教えられました。今になって良かったと思っています。私は高校までは、販売会社で営業をするようなタイプでは無かったんです。今みたいにインターネットなんか無かったですし、超田舎でしたので学校が終わったら家に帰って、かろうじて入る大阪のラジオ番組を聴き大好きな音楽をエアチェックするみたいな、そんな生活をしていました。大学の寮生活では人付き合いを、一人暮らしの時は世渡りを教わった気がします。東京の王子に住んでいたのですが、近くの商店街の人には良くしてもらい下町に溶け込んでました。余った商品の惣菜をもらったり、上がり込んで夕食をいただいたり、商店街のボーリング大会に誘われたり、下町の人情に触れることができました。王子は第二の故郷で、今でも上京すると時々顔を出しに行きます。大学の4年間が今の私が形成していると思っています。お坊さんの資格を取得し、お寺へ戻ると、地元の方々に喜んで頂けました。私の大きな原動力です。地元のお役に立てる様、還元できればと思っております。

近所の方と作ったウッドデッキ

座右の銘

長 尾

座右の銘というよりは好きな言葉で「運も実力のうち」です。カーディーラーでの仕事の話ですが、思いがけない受注などラッキーなことがあった時よく後輩に「運も実力のうちだよ」って言って励まします。たまたま、その日、その時間、その場所に居合わせてそのお客様と出会ったご縁ですが、普段の努力をお天道さまが見ていて、そういうお客様に引き合わせてくれたんだよ。だから普段の努力は無駄じゃないんだよ…みたいな。他のスタッフじゃ決まらなかったかもしれませんし、何年もお付き合いがあっても中々結果が出せない(売れない)こともあるけど、その活動も無駄じゃないんですよね。すぐに「棚ボタ」なんていう人がいますが、普段している努力はどこかでこういうラッキーを生み出すんだよって励ましています。どちらのケースも出会うべくして出会ったご縁を大切に接客しようと。運も巡り巡ってくるもの、「次こそはきっと」という気持ちになれるので。
他にはご縁の話ばかりでベタですが「一期一会」ですね。

積雪時の様子


お檀家さんがいないお寺を守りながら、ディーラーのお仕事もする長尾師。お忙しいところ、取材を受けていただきまして、誠にありがとうございました。