法話

わらしべ長者 ※写真1枚あり

木村真弘 持明院副住職(埼玉県所沢市)/豊山仏青広報次長

日本人にとって、観音菩薩はもっとも親しまれている尊い仏さま(のお一人)といえるでしょう。『観音』というお名前には、「音を観る」と書くように、透きとおった温かい目で世の中にあるべき姿を明らかに見るという意味があります。観音さまは、正しく、清らかで、おおらかな知恵に満ち、哀れみ深く美しい目の持ち主であり、我々、人間の理想像があらわされています。

この観音菩薩の功徳をまとめた『観音経』という教典には、観音さまの力を念じれば、火難や盗難などあらゆる災難に遭難しても恐れることはないと説かれています。それゆえ、昔から人びとは、観世音菩薩を念じれば、除災招福のご利益があると信じてきました。

日本においても、衆生を救う観音さまは、平安時代の貴族から庶民にいたるまで、身分にかかわりなく、大勢の人びとから信仰されてきました。実際、日本には観音信仰にまつわる伝説が伝えられています。そうした物語の一つに、昔話の「わらしべ長者」があります。

周知のように「わらしべ長者」は、手に握った藁(わら)しべを物々交換していくことで、最終的に田畑を手に入れ、大金持ちになったという男の話です。
しかし、男を大金持ちにしたのが、大和国(奈良県)の長谷寺の観音さまのお力であったことは、あまり知られていません。

物語の冒頭。「貧しい生活にいる今の生活をかえて幸福になりたい」そう願った男は、長谷寺の観音さまの前に座り込み、ひたすら拝み続けます。そして21日目をむかえたとき、僧侶に姿をかえた観音さまが現われ、男に仏さまからの授け物を与えると約束しました。
その授け物こそ、あの藁しべでした。

男の願いに、観音さまが慈悲の心をお示しになられる。この場面は、「わらしべ長者」のもとになった、中世の説話集『今昔物語集』巻第十六「長谷にまゐりし男、観音の助けによりて富を得たる語 第二十八」において、さらに素朴なかたちとして描かれます。長谷観音の前で、男は次のようにいいます。

「われ身貧しくして一塵の便りなし。もしこの世にかくて止むべくは、この御前にして干死(ひじに)に死なむ。もし自ら少しの便りを與(あた)へたまふべくは、その由を夢に示したまへ。さらぬ限りは更に罷り出でじ(まかりいでじ)」

現代語訳: わたしは貧しい身で、頼るべきものは何一つありません。もし、このままこの世を終わるのであれば、観音さまの前で、干からびて死のうと思います。しかし、もし観音さまが少しでも力をお授けくださるのなら、そのことを夢の中で示してください。それまでわたしは、ここにいます。

これをうけて、21日目にあらわれた僧侶は、男にこう言います。

「なんぢが前世の罪報をば知らずして、あながちに責め申すこと極めて當らず。しかれども。なんぢをあわれぶが故に、すこしのことを授けむ。されば寺を出でむに、何物といふとも、ただ手に當らむ物を棄てずして、なんぢがたまはる物と知るべし」

現代語訳: お前が前世の報いを知らないで、身勝手に仏を責めるのは見当違いである。
しかし、お前を哀れむがゆえに、少しだけ力を授けてやろう。では寺を出て、どんなものでも手に当たったものを捨てず、それをお前が授けられたものとしなさい。

このやりとりには、混迷の世界に生きる人間が示した、むき出しの激しい心があらわれています。男は、身勝手に観音さまを責め立ててでも、貧しい身の上を変えたかった。確かにそれは、見当違いな願いです。しかしそこには、この世に生まれ、もがきながらも必死に生きようとする生の人間の姿があります。長谷寺の観音さまは、わらしべ長者がさらけ出した人間の姿に、慈悲をお示しくださったのではないでしょうか。

生きることに必死だった男の願いと、生きることに葛藤する人間の姿をそのまま受け止めてくださった観音さまのお心。それを目の前にしたとき、ふと、現代を生きる自分は、今この時を一生懸命に生きているのだろうかと考えてしまいます。