法話

大歳の客

田中政樹 金乗院住職(埼玉県所沢市)/埼玉3号仏青前理事

日本の民話に、「大歳の客」いうお話があります。
大晦日の夜、みすぼらしい旅人が一晩の宿を求めて民家を訪れます。不憫に思った民家の主は旅人を泊めてやりますが、翌朝になると寝床の旅人が黄金に変わっており、一家に富がもたらされます。

この「大歳の客」には、いくつかの種類があります。
たとえば、宿を求める旅人についても、乞食であったり旅人が数人登場したりなど、その語られ方はさまざまです。そのなかでも、旅人としてとくに多く語られているのは、僧侶や巡礼者といった信仰に生きる人々です。巡礼者は六十六部廻国聖と呼ばれた人びとであり、民話のなかには「六部」という呼び名で登場します。
六部とは、日本全国66カ国を巡礼し、1国1カ所の霊場に法華経の奉納経典66部を1部ずつ納める宗教者です。中世には専業の宗教者が一般的でしたが、近世には一般の人びとが行う廻国巡礼も見られました。諸国巡礼の途中、六部は行く先々で民家や寺堂に宿したといわれていますが、「大歳の客」というお話もそうした旅事情のなかから生まれたものでしょう。

では、なぜ黄金に変わる六部のお話が生まれたのでしょうか?
まず、六部が黄金に変わった理由についてはさまざまで、お話のなかでは、新しい年の更新をもたらす年神が貧しい姿をとって人間を試しに来た、あるいは民家の家人が旅人を殺害して金を奪ったなどと語られています。
これらの説明については、数多くの学術的な研究が存在します。その代表的な見解によれば、日本各地に村落社会が存在していた頃の人びとは、自分が住む領域の外からやってくる者を、自分達になにかしらの変化をもたらす特別な存在としてみていたようです。
旅人もそうした外界の存在とされており、とくに宗教者であるならば、その存在はさらに神秘性を帯びたことでしょう。したがって、自分達とは違う存在をいか扱うかにはかなりの注意が払われていたと考えられ、「大歳の客」でもまさにこの点が問題となっています。

さて、「大歳の客」に登場する外界の存在である旅人は、村落社会に暮らす民家の家人に黄金という富をもたらしました。しかし、物事は必ずしも幸福な結末で終わりません。あるときは大変不幸な結末を迎えることもあります。それは、宿を乞う旅人を粗末に扱った場合に起こります。東北では、こんなお話が伝わっています。

とある岬に、金持ちばかりが住む長者の村がありました。
あるとき、村に3人の旅人が訪れました。旅人たちは日が暮れはじめたのに気づき、一晩の宿を乞おうとしたのでした。
ところがこの村の人びとはケチな心の持ち主ばかりで、誰一人旅人たちを迎え入れようとはしませんでした。村から追い出された旅人たちは、いずこかに姿を消しました。それから数日後、村には流行病が起こり、すべての村人が亡くなったということです。

なんだか、とても恐ろしいお話ですが、多くの民話は人びとに教訓を伝えています。
たとえば、いま紹介したお話には、人に対する接しかたがいずれ自分に帰ってくるという因果応報の教えがみられます。昨今、いじめや家族とのコミュニケーション不足など、人間関係に関する重大な問題が起きていますが、民話「大歳の客」はあらためて周囲の人に接する態度について考えさせてくれます。