法話

親子の縁

青木亮敬 金仙寺副住職(埼玉県所沢市)/埼玉3号仏青会員

親が子を傷つけ、子が親を傷つける。ニュースからは、連日のように悲しい出来事が伝えられています。現代は膨大な情報があふれる社会であり、人々の価値観も急速に多様化しているといわれています。めまぐるしい変化のなかで暮らす現代人。そんなわたしたちにとって、もはや親子の縁は大切なよりどころではなくなってしまったのでしょうか?

弘法大師空海が開山した和歌山県の高野山には、いくつものお寺が建ちならび、遠方から来る人々を迎え入れています。山内の一寺である密厳院は、新義真言宗の祖である興教大師覚鑁が創建した寺院として、その長い歴史をいまに伝えています。密厳院のとなりには、有名な苅萱堂があります。ちなみに意外と知られていませんが、苅萱堂は本院である密厳院によって管理されているお堂です。

苅萱堂には、江戸時代に歌舞伎の演目ともなった苅萱道心(かるかやどうしん)と石童丸の哀話が伝えられています。ときは平安末期。現在のお堂のあたりで、苅萱道心という僧侶が修行の日々を過ごしておりました。苅萱道心は、俗名を加藤左衛門尉繁氏(かとう さえもんのじょう しげうじ)といい、かつては筑紫国(つくしのくに:現在の福岡県)苅萱荘博多の領主でした。

繁氏には桂子(かつらこ)御前という正妻と、千里(ちさと)御前という側室がいました。
ある日、繁氏は普段から仲のよい二人の妻が、本心ではお互いを憎しみあっていることに気づきます。妻たちの本心を見抜いた繁氏は、わが身が犯した罪の深さを反省し、家も地位も捨てて出家します。その後、安養寺円慶を頼って高野山に入り、名を円空とあらためた繁氏は、蓮華谷(れんげだに)に庵(いおり)をむすび、修業の生活へと入りました。いつしか円空は、周囲から苅萱道心と呼ばれるようになっていました。

繁氏の出家後、千里御前は播磨国(はりまのくに:現在の兵庫県南西部)大山寺の観海上人のもとで、繁氏の一子石童丸を出産しました。石童丸が14歳になったとき、繁氏とよく似た僧侶が高野山にいるという噂を耳にします。石童丸は、まだ見ぬ父 繁氏に会いたい一心から、母の千里御前とともに高野山へと向かいます。千里御前と石童丸は、やっとの思いで高野山のふもとにある学文路(かむろ)の宿にたどり着きます。ところが、そこから先は、高野山の女人禁制というきびしいおきてに阻まれてしまいます。仕方なく、石童丸は母を宿に残し、ひとり高野山に登っていきます。

広い山内で父の行方をたずね歩く石童丸は、奥之院に架かる無明の橋で一人の僧とすれ違います。その僧は、母から聞いた父の姿によく似ていました。石童丸が自分の身の上を話したところ、僧の顔色が一瞬変わりました。この僧こそ、石童丸の父 苅萱道心円空その人だったのです。しかし、浮世を捨てて仏に仕える身となった円空には、親と名乗ることが許されませんでした。円空は、適当な墓石を指して、「探している父親はすでに亡くなった」と話して石童丸を母のもとへと帰します。

悲嘆にくれながら学文路の宿に戻った石童丸には、さらなる悲劇が待ちかまえていました。
母千里御前が長旅の疲れで急病となり、わが子の帰りを待ちわびながら亡くなったというのです。突然、天涯孤独の身となってしまった石童丸は、再び高野山に戻り、円空の弟子道念となりました。円空は、道念に生涯父子の名乗りをすることはありませんでした。それから30年以上、苅萱堂がある地で師弟として修行に励んだということです。

苅萱道心と石童丸の物語は、涙をそそる哀話として後世に伝えられています。
しかしこの物語は、その悲劇だけを伝えるのではなく、親子の縁がいかに深く強いものであるかをわたしたちに教えています。この時代の出家は、俗世の縁をすべて断ち切ることを意味していました。それでも、親子である苅萱道心と石童丸との縁は、ついに切れることがありませんでした。そして、息子を待ちわびた千里御前の石童丸にむける想いは、わが子に会いたさの一心で女人禁制の高野山を訪れたお大師さまの母君と同じ母の愛情です。

わたしたちは、家族、友人知人、職場の同僚、恩師など、自分の身の回りにいる人をあたりまえのようにいる存在として軽視しがちです。しかしわたしたちは、ひとりで生まれてきたのではありません。またひとりでは生きていけないのです。わたしたちは、自分が他の人々とつながっていることを意識しなければなりません。自分とは、人の縁のうえに成り立つ存在であることを知り、その縁に感謝しなければならないのです。
とくに親子の縁は、もっとも大切にしなければなりません。なぜならば、自分という存在をこの世に送り出した、感謝してもしつくせない縁であるからです。そして親子の縁は、相手をいつくしみ、思いやる心をはぐくむ土台となる縁でもあります。もういちど、もっとも自分に身近な親子の縁について考えてみなければならないときがきています。