法話

何事も日々の小さな積み重ね

加藤孝綾 蓮蔵院住職(千葉県船橋市)/千葉中部仏青

子供のころから変わらないこと、それは本が好きなことです。

 幼稚園や小学校低学年の頃はやんちゃなお姫さまが主人公の物語に夢中になり、高学年では一転、偉人の伝記を読み漁りました。中学生になると自分で選ぶだけでは飽き足らず、図書室の司書の先生にまとわりついてはいろいろな本を選んでもらう毎日でした。高校時代は村上春樹作品と運命の出会いを果たし、大学生活の中では歌集や詩集などを手に取るようになり読書の幅が広がりました。

 私は実家のお寺と並行して、国語の非常勤講師として高校に勤務しています。学年末の今、授業もほとんど終わりに近づいているので、2月3月は授業の始めに「オススメの一冊」の紹介(という名目の雑談)をしています。高校2年生の女子生徒が特に興味を示したのが、俵万智『恋する伊勢物語』(古典文学エッセイ)、中田永一『くちびるに歌を』(小説)、河野裕子『蝉声』(歌集)、マンガ版『源氏物語』(マンガ)など。これらの本の共通点がみつからず、次回の授業ではどんな本を紹介しようか……と悩んでいます。

 今回は法話ではなく、私の「オススメの一冊」を紹介します。こちらです。

 『紙の月』角田光代(ハルキ文庫)

 主人公は梅澤梨花、41歳。専業主婦から銀行にパート勤務するようになり、真面目な働きぶりから契約社員となる。しかし些細なことから銀行のお金に手をつけてしまい、いつしか横領した総額は1億円に……。

 ドラマ化や映画化もされたので、ご存知の方もいらっしゃるかもしれません。

 主人公の梅澤梨花は美しいけれども派手ではなく、ごくごく普通の女性です。それが、ささいなことがきっかけになって道を踏み外し、向こう側へ行ってしまう。それもあっけなく。

 道を踏み外さないように、と意識まではしなくても、自分はまっとうな道を歩いているつもりでいる。けれどもそれは幻想で、もしかしたら小さなきっかけ一つで梅澤梨花と同じように、簡単に向こう側の世界に転んでしまうのではないか。そんな気持ちが、物語に夢中になっている時に、ポッと湧き出てくるのです。その時の不安感といったらたまりません。

 彼女の危うさが私を息苦しくさせ、他人事と割り切って読むことのできない恐ろしさをもたらすのです。

 私には恩師がいます。高校3年間の担任の先生です。教育実習の時も、ホームルームの指導教諭としてお世話になりました。

 「何事も小さな積み重ねである。巨大なダムの崩壊もほんの小さな穴から始まる。日々の小さな注意の積み重ねが安定感につながる。」

 教育実習中に頂いた言葉です。あれから10年近く経ちますが、教壇に立つときはもちろん、日々の生活においても支えとなっています。

 一年に一度、恩師へ年賀状を出す時に自問自答して確認することがあります。これまでの一年、恩師に胸を張って報告できるように過ごしてきたか、これからの一年、いつ恩師に会ってもその顔をまっすぐ見られるように過ごしていけるか。

 今のところ、私が梅澤梨花のようにならないでいられるのは、恩師のおかげかもしれません。