法話

宿縁を歓べ

吾津恕榮 愛染院副住職(千葉県木更津市)/千葉3号仏青 会計

29歳になって約1ヶ月後、実家(お寺)を出て病院に勤めていた私に両親から、「お寺に戻ってきてお寺を手伝ってくれないか」という話を頂いた。お寺で三姉妹の長女として生まれた私は、住職である父の跡はどうするのだろう、ということが常に頭にあった。私が20歳の頃、父が初めて倒れた時は、大学生で実家を離れていたのだが、私が家に戻らないと!との思いを持った。しかし、自分が出家するというイメージはまったくなかった。その後、父は回復したがまた約5年後、倒れた。直後は右手に麻痺があり、字をうまく書けず、病室に筆と半紙を持ちこみ写経をしてリハビリをしていた。その甲斐もあってか、その後ほとんど後遺症なく日常生活に戻ることができた。

 しかし、私が苦しくなったのはその後だった。医師から、次に倒れたら命はないよと言われており、携帯電話に自宅から着信があると「父が倒れたのではないか」、救急車の音が聞こえると、倒れた父の元に駆けつける救急車ではないのかと思い、苦しかった。父が亡くなってしまうかもしれないという想像は、私にとっては悲しみだけでなく、その後のお寺を私が急に任されたらどうしたらいいんだろうという重圧にもなった。なるべく考えないようにしていたけれど、ふとした時にその不安が襲って来て、誰にも話すことができず、一人枕を濡らしていた。

 そんな状況が5年程あった後、冒頭の話を両親から頂いた。数日考え、お寺を継ぐということまでは今は約束できないけれど、父の命が伸びることに繋がるのであれば、また自分の不安解消のためにも「出家をする」決心をした。仏教を勉強することに対しての興味もあった。それは当時働いていた精神科の病院で、患者さんから「なぜ自分が統合失調症になってしまったのか」という話を何度もされており、辛さを共有することしかできていなかったのだが、仏教を勉強したらなにか違う事が言えるかもしれないと思ったのだ。

 出家へは、周りの方も力強く背中を押してくれ、歯車がかみ合い回るように進み、その後大正大学へ編入し、修行に入ることになった。

 冷静に考え、覚悟も決めて出家したのだが、行をしたり勉強しながらも、私の中にもやもやとした気持ちがあった。なんで私が仕事を辞めなくてはならなかったんだろう。どうしてお寺に生れてしまったのだろう。どうして私が長女なのか。そうでなければ、違う人生だったのに・・・と。

 そんな時に、大正大学の研修で薬師寺へ行く機会を頂いた。そこで、もやもやが洗い流されるようなお話を伺った。大谷徹奘(てつじょう)さんというお坊さんであった。

 『薬師寺』のご本尊様である薬師如来のお話であった。薬師如来は、調御丈夫(ちょうぎょじょうぶ)、調和し御(ぎょ)することに成功した仏様であると。調和とは、和を調えること。つまり自分を調和させることに成功した仏様であると。

 なぜ思い通りにならないのか?あなたの欲求が高すぎませんか?与えられたものをしっかり見つめていないから幸せではないのですよ。自分に与えられたものを積極的に受け止めて生かしていますか?ないものねだりしていませんか?初心を、最初の信念を貫いていますか?信念を忘れていると、思い通りにならない自分を苦しめることになります。人は、一人では生きられません。相手にも心があります。自分の物差しを振り回していませんか?不満を言っているとどんどん自分を苦しめることになります。与えられたものを十分素晴らしいという思いで、積極的に受け入れ十分生かしていこうとしていますか。そうすると、いいところがどんどん見えてきますよ、と。

 50人ほど研修生がいましたが、私のために話をして下さっているのかと思うほど、その時の私の悩みにピッタリのお話で、私は気がつくと涙を流しながら、自分のお寺のことを思い出していました。子供の頃から私を可愛がってくれた檀家のおばさまたち、お寺の行事の時は世話人さん方が自分のことのように協力下さり、また家族も一丸となり阿吽の呼吸で進めていくこと、地域に根付いたお寺であることなど・・・

 大谷徹奘さんは、お経にあった言葉で「宿縁を歓べ」とまとめていらした。あなたに宿った縁を歓びなさいと。

 それまでは、私に宿った縁を、十分に受け入れられませんでした。違う縁であれば・・と、隣の芝生を見ており、宿った縁を十分に見つめていませんでした。少しずつ、外ではなく、内を見つめ、有難いもの、めったにないものであると見られるようになると、私に宿った縁を、受け入れられるようになっていきました。

 歓べるようにまでなるには、時間が必要でしたが、宿縁を歓べるということは、周りを大事にできることに繋がっているような気がします。すると周りとの関係もよくなります。すると、また今のご縁がこれでよかったと思えるといういい循環が生まれているような気がします。

 これからも色々な縁が結ばれていくと思いますが、一つ一つを良い悪いと判断せず、有難いものとして大事にしていきたいものです。客観的に悪いと思われることでも、そうすることで味方にできるかもしれません。「歓宿縁!!」