法話
お天道さまと夫と仏様
吾津恕榮 愛染院副住職(千葉県木更津市)/千葉三号仏青 会計
大きな声では言えませんが、実は私、「片付け」が苦手です。学生時代、アパートで一人暮らしをしていましたが、友人が遊びに来る時には、「数日前に言ってほしい、その日に言われてもすぐに家にはあげられないよ」、と言っていた程の部屋でした。
ただ、洗濯は好きです。シワをパンパンと伸ばし物干し竿へかけ太陽の下へ。夕方、カラッと乾いてふんわり温かい衣類。畳んでいる時も至福の時間。布目に沿ってピッチリと畳み、タオルから順に重ねてまとめた洗濯物。“本日の作品”と思い気持ちは満ち足ります。
私の課題はそこからです。その後、「タンスにしまう」という作業が苦手なのです。そのまま床に置きっぱなし、翌日そこから衣類を取り出して着る、という事をしていました。
一時が万事そのようです。部屋に汚いものがある訳ではありません。食べた後のお皿や使った鼻紙、飲み終わったジュースの缶などが、そのままになっていることはありません。シンクにも汚いお皿はありません。ただ、洗ったお皿が洗いかごの中に伏せたままになっており、翌日、そこから出して使うのです。つまり部屋は、洗った洗濯物や、読みかけの本、漫画、聞いたCD、勉強に使うテキストや辞書、それらが床の上に置いてある状態、別の言い方をすると、きれいなものが散らかっている状態にありました。
大学を卒業し実家に戻り、食器は母の習慣である「洗ったらしまうところまで一気に終わらせる」が習慣となりましたが、部屋は変わりませんでした。相変わらず必要なものを畳の上から取り上げて使うという生活をしていました。
ところが、30年以上もそのような生活をしていた私が、あることをきっかけにその行動を変えることができたのです。それは、「結婚」でした。
平成26年3月2日、私はその学生時代の部屋を知っている大学の先輩と結婚しました。翌日から一緒に住み始めました。母と妹は、私があまりにも部屋を片付けられないため、愛想をつかされるのではないかと密かに心配していたそうです。片付けられなかった私に、これまで色々な方がアドバイスや片付けの本を下さったりしていましたが、わかっちゃいるけど行動に移せませんでした。しかしそれが実践される時が来たのです!「使ったらすぐに元の場所に戻す」「物の定位置を決めておく」「保留の物を置く場所を決めておく」等です。
なぜ今までどうすればいいかわかっていながら実践できなかったのか?なぜ結婚により実践できるようになったのか?それは、夫という存在です。いやいや、ここで「おのろけ」と思わないで下さい。大事なところです。他者の存在を意識すること、それで人は変わるようです。
私は子供の頃、母に「誰も見ていないと思っても、お天道さまと自分はみているからね」と言われていました。飴玉の包み紙をポイ捨てしてしまおうかとの思いがよぎっても、この言葉がゴミをポケットに押しやりました。誰も見ていないと思っても悪いことはしてはいけないよ!ということ。さらに今では、いいことに対しても言えると感じます。誰も見てなくても、いいと思ったことはしなさいと。
このお天道さまが夫であり、更には仏様ではないかとも思うのです。
母の教え、「誰も見ていないと思っても、お天道さまと自分はみている」だけでは、部屋の片づけができなかった私ですが、お天道さまよりもう少し身近な(片づけをせよとはいいはしない)夫の存在により、意識をして片付けをするようになりました。
みなさんにとってのお天道さまもきっといらっしゃるでしょう。 自身の中の、「このようにあった方がいい」という視点を意識させてくれる存在。楽な方に流れていきそうな私を引き戻してくれる存在。大事にしたいですね。