法話
かけだし父ちゃんの、仏教的子育て鼻先思案 3
色摩真了 宝泉寺住職(埼玉県所沢市)/埼玉3号仏青
日常のなかで、当たり前にそこにある真実にふと気がつくときがありますが、子育てにどっぷりつかるようになってからその頻度が増したように感じます。
本シリーズの最後は子どもとの生活のなかで今最も強く感じている思いを、これまでと同様に自らのツイートを引用しつつ総括して記してみたいと思います。
【子育ては「南無大師遍照金剛」】
子供を保育園に預けた後は、その一帯を護る鎮守様に挨拶をしていく。それは、自然や人や人が作った全てのものへの感謝の気持ちから。
神仏に手を合わすということはこの世の全存在に敬意を表すことに他ならないのだと、親になって強くそう思ようになりました。(2012.5.7tweet)
子どもの通う保育園の近くに神社があるので、送り迎えのときに挨拶をしています。子育てをするようになって、様々な存在に助けられているなあという思いが強くなり、その気持ちを鎮守さまに伝えるためです。
真言宗では、人間を含むこの世界の全ての生き物、命をもたないような水や火、風などあらゆる存在を、大日如来という仏の王様が変化した姿であると考え、それらが起こすあらゆる現象は大日如来の活動だとみなします。仏という正体をもつ私たち全員が、区別・分別をなくして互いに互いを尊び合って日々を過ごせたらみんな幸せですよね。
とはいえ、私たちの日常には会いたくない人もいれば、やりたくない仕事もあります。全てが仏だとはなかなか思うことはできません。そんなときに改めて、この世界が仏で満ちあふれていることを意識するためにお唱えするのが真言宗で最も多く声に出されることの多いお経、「南無大師遍照金剛」だと私は思っています。
「南無」はインドの「ナマステ」という挨拶言葉と同じ語源を持ち、「あなたを尊敬しています。」という意味です。「大師」は真言宗の開祖である弘法大師空海上人。そして「遍照金剛」は大日如来の別名ですが、お大師さまが灌頂という儀式の際に「遍照金剛」という大日如来と同じお名前を頂いたので「一般的に「南無大師遍照金剛」はお大師さまを讃えるために唱えられます。四国八十八カ所霊場の寺院や真言宗のお寺に「南無大師遍照金剛」の幟がたっているのはその為です。もちろん私もお大師さまを拝むためにこれを唱えますが、それと同時に遍照金剛(大日如来)、ひいては、大日如来が姿を変えた「この世界の全存在」に敬意を表するようにしています。
私たちの毎日には多くの困難が待ち受けています。子育てだって楽しいことばかりではありません。だからこそ、その困難を仏ととらえ、自らに勇気を起こさせるためのお経である「南無大師遍照金剛」を私は常に胸においておきたいと考えています。
さて、3回にわたって綴って参りました「子育て鼻先思案」もこれにて終了です。これからも楽しく子育てを続けて行きたいと思います。お付き合いありがとうございました!